去る9月17日(火)。おばあちゃんが亡くなりました。

おばあちゃんは病院に入院していましたが穏やかに過ごせていると聞いていて、退院のお話も出ていたので安心しきっていたのですが、早朝に病院から電話が掛かってきて心臓が止まっていて息をしていないと伝えられました。

死因は不整脈による心臓停止らしいです。

お医者様には寿命と捉えても問題ないとお聞きしたのですが、特別養護老人ホームに預けてからすぐにコロナにかかり、1週間寝たきりになり、それが原因で足の血流が悪くなり左足が壊死してしまい、入院、転院、そして死亡。と、一月半の間に流れるように亡くなった気がするので少し納得がいってません。

死因との因果関係はわからないとは言え、体力的に寿命を削られたのは間違いないと思います。

施設内にコロナを持ち込んだのも、足が壊死するまで気が付かなかったことも施設側に否があると私は思ってしまっています。

おばあちゃんの年齢が97歳ということもあり寿命で片をつけられてしまっていますが、もう少し若ければ施設が訴えられていてもおかしくない流れのように思えます。

父が生前、口を酸っぱくして何度も老人ホームに預けるとコロナにかかるかもしれないから預けたくないと言っていましたが、本当にその通りだったなって思いました。

しかし、思うところはあれど父が亡くなったことにようやく落ち着きかけた頃におばあちゃんが亡くなって私達家族は疲弊しきっているので、どうこう言うつもりもありません。

父が亡くなった時点でおばあちゃんの居場所は完全に失われてしまったので、老人ホームに預かってもらうしかなかったのです。

預かってもらった結果どうなろうが、それはおばあちゃんの寿命に含まれるのです。

だからしょうがないのです…。





おばあちゃんは体が丈夫で最近の入院を除けば一度も大きな病気になることもなく、おばあちゃんはどうやったら死ぬのだろう?と疑問に思っていた時期があるくらいタフでした。

私は生まれる前に祖父が他界しており写真でしかその姿を知りません。

母方のおばあちゃんも幼稚園の頃に亡くなっていてそんなに覚えていません。

だからこそ父方のおばあちゃんとは長く過ごそうと高校生の頃から学校の帰りに自転車でおばあちゃんの家まで行っていつ亡くなっても後悔しないようによく様子を見に行ってました。


それがもう20年以上前。


おばあちゃんの住まいが立て壊しで立ち退きになって引っ越してからも、母がおばあちゃんを苦手としていたため、父が見に行けない時に様子を見に行くのは私の役目でした。

そう考えると私はおばあちゃんと長く過ごしたなぁと思います。

でも、昔の人だったからそんなに楽しい思い出は無いんですよね。

怒ることはないけれど、スマホの中を見てもおばあちゃんの笑ってる写真なんて1枚もなくて、遺影にする写真は古いアルバムから取り出してきたくらいです。

飼ってたワンコと遊んでる時が一番笑ってたような気がするなぁ。



私は今年が後厄。弟が本厄なのですが、厄年ってほんとに悪いことが続くんだなぁと、驚いております。

おばあちゃんが亡くなる前の日にずっと身につけてた厄払いのお守りが千切れたのです。
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母とは「何かの災いから護って身代わりになってくれたんだよ」って、お話してたのですが、おばあちゃんがお守りが千切れた直後に亡くなった形だけ見ると厄除けバリアが剥がれたようなイメージを持ってしまいます。

でも、考え方を変えると、ずっとおばあちゃんの面倒見てきたことを厄と捉えて、そこから解放された。とも、考えられるような気がするので、良い方に考えたいと思います。






今回のお葬式も喪主を務めたのですが、父のお葬式を経験していたこともあり、お通夜とお葬式に参列される方も前回より圧倒的に少なかったため、今回は手持ち無沙汰で退屈な時間があるくらいでした。

おばあちゃんの思い出話をしようと試みる度に、父が居ないとおばあちゃんの思い出話は広がらないよなぁと言ってました。

おばあちゃんのお話は古いお話が多くて父の解説がないと成り立たないことが多いのです。

何回思い返しても、父とおばあちゃん亡くなる順番逆だよって思いました( ノД`)

でも、父が生きてたら生きてたで、お通夜の晩に親戚や友人たちと夜な夜な飲み明かしてそれはそれで大変なことになっていただろうなとも思い、ちょっと泣けてきました。



おばあちゃんが亡くなったことで気苦労していたことは無くなりました。
亡くなったことは寂しいですが良い方に考えようと思います。

母がひとりぼっちにならないように今は少しでも側にいてあげようと思います。







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